中東の胎動 2011 2 20

 アメリカでは、中東の民主化運動をばら色の未来のように見ていますが、
はたして、中東の未来は、アメリカにとって、ばら色なのか。
 中東の民主化は、アラブ統一の胎動となるかもしれません。
少なくとも、導火線となるでしょう。
 アラブ統一後、つまりアラブ共和国、
あるいはアラブ・イスラム共和国の成立後、どうなるのか。
 今は、イスラム対欧米の戦いが続いていますが、
やがて、イスラム対中国の戦いとなるでしょう。
 なぜか。
それは、以下の「イスラム対中国 2011 1 23」を読んでください。

イスラム対中国 2011 1 23
 今は、ムスリム(イスラム教徒)の関心は、
アメリカ、イスラエルに向いていますが、
やがて、中国に向くことになるでしょう。
 なぜか。
宗教指導者にとって、無神論国家は、脅威に感じるでしょう。
それが中小の国ならば気にならなくても、
大国どころか超大国になっていくとなると、
大きな脅威と危機感を感じるようになると思います。
やがて、対中国との戦いが始まると思います。
 将来、イスラム圏では、
イスラム教原理勢力の力が強くなっていくと考えています。
それは、世俗化の代表例だったサダム・フセインが戦争に負けたからです。
 敬虔なイスラム教徒は、こう考えるでしょう。
「サダム・フセインは、世俗化したから、戦争に負けたのだ。
だから、イスラム教徒は、イスラム教の原点に戻るべきだ」

ムハンマド Muhammad 2005 9 18
 連日、ニュースで伝えられる「イラクの混乱」。
しかし、こうした混乱は、昔もあったのです。
 ムハンマド(マホメット)が活躍した時代も、混乱していたのです。
宗教家であるムハンマドは、結局、軍事的な勝利によって、決着をつけたのです。
ムハンマドは、宗教家であると同時に、軍事的な英雄でした。
 しかし、これが、ある意味で、中東に戦乱が多い原因になっているかもしれません。
イスラム教では、ムハンマドは、教祖ではなく、最後の預言者となっていますが、
こうした預言者の性格や性質が、その後のイスラム教に影響していると思います。
 もちろん、イスラム教自体は、平和な宗教です。
しかし、宗教というものは、教祖(預言者)の影響が出るものです。
弟子は、教祖の行動を模倣する傾向があります。
 ムハンマド(マホメット)は、富の独占を批判し、審判の日が近いと説きました。
この教えは、貧民層などに、燎原の火のごとく広がっていきました。
 しかし、これは、当時のメッカにおいて、
支配階級であった裕福な商人たちからは、危険思想とみなされました。
 そこで、ムハンマドは、商人たちの迫害を逃れるために、
メディナへ移住したのです。
これが、622年の「ヒジュラ(聖遷)」です。













































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